何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。(ヨハネの手紙第一5章14節ー15節)

1.マルコの福音書14章32節ー36節
2.ヨハネの福音書6章38節ー40節
3.ヨハネの福音書12章24節ー28節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー4節 

パウロは獄中にありながらも「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ 人への手紙4章6節ー7節)」と、祈る時の心構えと、その結果どのようなことが起こるのかも教えてくださいました。イエス様は父のみこころが何であるのかをご存じで、ゲッセマネの園に行く前に感謝をもってパンをさかれましたが、ゲッセマネの園ではご自身を父にお委ねするためにもだえ苦しんで祈られましたが、ヘブル人への手紙12章2節に「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神のい御座の右に着座されました。」と語っています。パウロは「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(テモテへの手紙第一2章4節)」と語っています。ですから家族や友人、人々の救いのために祈る事は神の御心にかなっている事であることを心にすえて、今日の聖句が「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」と、語っているように、神の時があるので、時には忍耐しなければならないことがありますが、自分の願いが叶えられるかどうか、というような不安を抱えながらではなく、神のみこころであるならかなえられるという確信と感謝を持って祈ろうではありませんか。