幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず。罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(詩篇1篇1節ー2節)

1.ヨシュア記1章1節ー9節
2.詩篇119篇6節ー16節
3.テモテへの手紙第二3章16節ー17節
4.ヤコブの手紙1章12節ー21節

人は幸いなことを、幸いな人生を求めますが、何を基準にしているかによって実生活のあり方が変わってしまうのではないでしょうか。今日の聖句は、まず「幸いなことよ。」と語ってから「悪者のはかりごとに歩まず。罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」と、幸いなことに関する三つの留意点を挙げていますが、逆に見れば、幸いでない人は「悪者」「罪人」「あざける者」であり、そのような人は、ダビデが「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。』」と語っているように自分の利益を求め、かつてのパウロのように自分の考えで自分勝手な道を行き、十字架にかけられたイエス様をあざけったように高ぶってほかの人を見下すような生き方をしてしまうのではないでしょうか。その原因は行いだけでなく人の心をもご存知であり、何が必要であるのかをご存知な神を知ないこと、神のことばを知ないことにあるのではないでしょうか。l神がどのような方であるのかを知るには神のことば、神の教えをはっきりと教えてくださっているみことばに以外にないために、幸いなこと、幸いな人は「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」と語っているのではないでしょうか。パウロは「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です(テモテへの手紙3章16節)」とみことばの持つ意義を語っています。ヤコブが「あなたがたのうち苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。(ヤコブの手紙5章13節)」勧めているように、昼=明るい時、喜びの時、夜=暗い時、恐れたり、心配したりするような時も主と関