先の事どもを思い出すな、昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ書43章18節ー19節)

1.申命記1章19節ー33節
2.ヨシュア記3章1節ー4節
3.伝道者の書7章1節ー10節
4.エレミヤ書29章10節ー13節 

イスラルの民と民と一緒に混ざって人たちも紅海の奇蹟を体験しているにもかかわらず、激しい欲望にかられた人たちと民も一緒になって大声で、「ああ、肉が食べたい。エジプトではただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」と、エジプトでしいたげられ苦しんでいたことを忘れてエジプトをなつかしむようなことをなん度も繰り返し、主を信頼するよりもかえって不信の罪を犯し「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できればこの荒野で死んだ方がましだ。」などとつぶやいやので、20歳以上の者で約束の地に入ることができたのは主を信頼したヨシュアとカレブのみでした。人は試練に会ったり、自分の欲望が満たされないと、イスラエルの民のように過去をふり返って「昔の方が良かった。」と言いがちですが、そのような発言は「知恵によるものではない」とソロモンは語っています。今日の聖句やパウロの言葉「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二4章15節ー16節)」を心に据えて、恵みとまことに満ちておられる主を信頼し、今年主がどのように栄光を現してくださるのか主に期待し、主が日本の霊的状態を変えてくださり、多くの人々が主を求めるように祈ろうではありませんか。