万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一4章7節ー8節)

1.ダニエル書9章17節ー19節
2.ルカの福音書18章1節ー14節
3.ルカの福音書23章22節ー47節
4.エペソ人への手紙1章5節ー20節

元旦から地震、羽田での飛行機事故、自民党の裏金問題など、今年は念頭から喜ばしいニュースよりも人々に将来に対する恐れや不安をもたらすような報道は、国内だけでなく、ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナの問題、中国と台湾の関係、アメリカやヨーロッパ諸国の状態を見ると、確かにイエス様が預言されたように世の終わりの前兆がすでに起きていることを思わされますが、そのような邪悪な時代においてペテロは「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」と、キリスト者がなすべきことは祈ることと互いに愛することであるを語っていますが、そのためには、まず、心を整え身を慎むように命じています。ペテロは「愛は多くの罪をおおう」と、互いに愛する愛の質を語っています。イエス様は、ペテロが三度イエス様の事を知らない、と言うことをご存知でありながら、ペテロを責めるよりも、かえって彼の信仰がなくならないようにとりなして祈られましたし(ルカの福音書22章31節ー34節)、十字架上で人々のためにとりなして祈られ、みんなといっしょになってののしっていたにもかかわらず(マルコの福音書15章27節ー33節)、イエス様に十字架にかけられていた犯罪人のひとりが「イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様は「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と彼がののしった事を責めることなく、希望を与えられ、神の愛を示されたのでした(ルカの福音書23章33節ー43節)。昇天されたイエス様は父なる神の右に座して、今日もとりなして祈っていてくださることを心に据えて、感謝と神の愛をもって人々の救いために祈ろうではありませんか。