兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。(ガラテヤ人への手紙6章1節ー3節)
1.ルカの福音書18章9節ー14節
2.ヨハネの福音書13章1節ー17節
3.ガラテヤ人への手紙5章13節ー26節
4.エペソ人への手紙4章17節ー32節
パウロは「キリストの律法を全うしなさい。」と勧めていますが、それは、イエス様が「『自分の隣人を愛し(アガパオ=神の愛)、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し(アガパオ)、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章43節ー44節)」と、弟子たちに「わたしがあなたがたを愛したように(アガパオ)、あなたがたも互いに愛し合うこと(アガパオ)、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章12節)」と仰せられたように互いに神の愛で愛し合うことですが、神の愛は聖霊によって心に注がれるものであるが故にキリストの律法を全うできるのはキリスト者であることがわかります。今日の聖句はあやまちを犯したキリスト者にキリスト者がどのように接すべきかを語っています。パウロは自分の義に生きていたときにはキリスト者を弾圧し迫害していましたが、キリスト者となった彼は「自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。・・だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。」と自分の義に生き、過ちを犯した人を見下げるような高ぶりに陥らないように、自分も完全ではないことを自覚するとともに「御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。」と、勧めているように「御霊の人」、すなわち神の愛が与えられている事を、行いではなく恵みによって救われていることを自覚し、その人を責めるよりも回復できるように、恵みのみことばをもって励ますようにしようではありませんか。