私はこう言います。「御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる」と。(詩篇89篇2節)
1.サムエル記第二7章12節ー16節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.ローマ人への手紙5章17節ー21節
4.ローマ人への手紙8章28節ー39節
今日の聖句の冒頭にエズラフ人エタンのマスキール(マルチン・ルターは「教える歌」と教えています)とあります。エタンが「私はこう言います。『御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる』と。」と語っているように、主はダビデに対してダビデの子孫が罪を犯すときには人の杖、人の子のむちをもって懲らしめても「わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。(サムエル記第二7章14節ー16節)」と約束されたことを、ダビデの子と呼ばれたイエス様によって成就されたのでした。しかもその恵みはパウロが「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と語っているように、キリスト者となっても私たちは完全ではないので、過ちを、イエス様から目を離して罪を犯してしまうようなことがありますが、死からよみがえられ昇天され、今は神の右の座についておられるイエス様が罪に定められないようにとりなしていてくださるので、ダビデに約束されたようにキリスト者から恵みが取り去られることがないばかりか、キリスト・イエスにある神の愛から引き離すことができるものはないことをパウロは確信し、弱さや恐れおののくような時、十字架のキリストを(コリント人への手紙第一2章2節ー3節)、死からよみがえられたイエス様をいつも思い(テモテへの手紙2章8節)、恵みを無駄に受けないようにどんな状況にあってもキリストのしもべとして生涯を全うされたのでした(コリント人への手紙第二6章1節ー8節)。天に座しておられる主は恵みとまことに満ちておられる方であることを忘れないようにしようではありませんか。