主は、ご自分の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自分の民を祝福される。(詩篇29篇11節)

1.ルカの福音書24章44節ー52節
2. エペソ人への手紙1章3節ー6節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.ガラテヤ人への手紙3章8節ー14節

弟子たちはイエス様と寝食を共にし数々の奇蹟を目にしただけでなく、ご自身の将来についてエルサレムで多くの苦しみを受け、殺されるけれども三日目によみがえる事を話されましたが(マタイの福音書16章21節)、彼らたちにはそのことが理解できずにユダヤ人を恐れて戸をしめていたのですが、死からよみがえられたイエス様は彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と二度仰られてから二度目には「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」と仰せらるとともに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」と(ヨハネの福音書20章19節ー22節)、昇天される前には「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。(使徒の働き1章8節)」と仰られたのでした。聖霊の力に満たされたペテロや使徒たちはもはや人を恐れずに大胆に福音を語り、3000人が救われて教会が誕生したのでした。キリスト者になったパウロが「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました(エペソ人への手紙1章3節)」と、「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(コリント人への手紙第一1章24節ー25節)」と語っているように、今日の聖句「主は、ご自分の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自分の民を祝福される。」は、神が人としてこの世に御降誕されたことによって、すなわちイエス様によって成就したのでした。聖霊様を与えてくださり、神の力を、のろいから完全に解放してくださり、いつもともにいてくださり、この世が与えることのできない平安を与えてくださるキリストに生きる、すなわち自分を喜ばせるように生きるのではなく神が喜ばれるかどうかを吟味して生きるようにしようではありませんか。