恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)

1.詩篇49篇5節ー15節
2.箴言20章6節ー9節
3.伝道者の書12章10節ー14節
4.ヨハネの福音書1章14節ー18節

十字架にかけられたイエス様に対して道を行く人々は「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」とののしったり、祭司長たちや律法学者たちといっしょになって「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」とあざけった人々と同じように十字架にかけられていた二人の犯罪人もイエス様をののしったのですが(マルコの福音書15章29節ー32節)、イエス様が彼らのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、とりなして祈られると、その祈りを聞いていながらも悪口を言った犯罪人にもうひとりの犯罪人は「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」とたしなめてから、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げただけで「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と約束され希望を与えられたのでした。今日の聖句が「恵みとまことによって、咎は贖われる。」と語っているように、贖いは恵みとまことに満ちておられるイエス様によって成し遂げられたのでした。ソロモンは人がすべきことは「神を恐れよ。神の命令を守れ。」と神がどんな偉大な方であるのかを認めて、神の命令、すなわち恵みのみことばに生きることを勧めている理由について「神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのことを裁かれるからだ。」と語っています。「主を恐れることによって、人は悪を離れる。」とあるように、主を恐れる、主がすべてを見ておられることを思い起こすなら、肉の思いが湧き上がってきても、行動に移す前に歯止めがきくのではないでしょうか。