満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章8節)

1.ヨハネの福音書6章32節ー35節
2.コリント人への手紙第二6章1節ー10節
3.コリント人への手紙第二9章6節ー15節
4.ピリピ人への手紙4章8節ー12節 

人は神社やお寺に参拝しますが、その動機は利益を得るためのものであり、その根底には「欲」があるのではないでしょうか。パウロは「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテへの手紙第一6章9節ー10節)」と語りました。神を愛していたことがあったソロモンは神を考慮しない世の人々の生き方を試みられ、シバの女王が驚嘆するほどの富を得ましたが、「空の空。伝道者のは言う。空の空。全ては空。日の下で、どんなに労苦しても、その人に何の益になろう。(伝道者の書1章2節ー3節)」と、「日の下」、すなわちこの世が与えることができるのは空しさしかないことを語るとともに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。(伝道者の書12章13節ー14節)」と結論づけられました。イエス様は「わたしはいのちのパンです。わたしに来る者は決して植えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。・・信じる者は永遠のいのちを持ちます。(ヨハネの福音書6章35節ー47節)」と仰せられました。パウロが「 満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と語っていますが、それはイエス様を信じることによるものであることがわかります。イエス様によって与えられている恵みをこの世が与えることのできない天にあるすべての霊的祝福が与えられている事(エペソ人への手紙1章3節)を忘れないようにしようではありませんか。