死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。(伝道者の書10章1節ー2節)

1.詩篇16篇1節ー11節
2.マタイの福音書7章15節ー27節
3.マタイの福音書25章31節ー46節
4.ローマ人への手紙1章16節ー25節 

元旦には大地震が北陸地方を襲い、昨日は羽田でJALと海上保安庁の航空機が衝突炎上している状況が放映され、日本はどうなるのだろうか、と多くの方が思われたのではないのでしょうか。元旦を迎えるにあたって、秋田県男鹿半島の伝統行事であるナマハゲが家々を訪ね、子どもたちが恐れて泣いている様子が放映されました。ナマハゲは「ナモミをはぐ(ナモミはぎ)」がなまったもので、「ナモミ」とは寒い日に囲炉裏端にかじりついて何もしないでいると手足にできる火型のことで、ナマハゲは怠惰なものを戒めるために真山・本山に鎮座する神々の使者で、災をはらい、豊作・豊漁の吉事をもたらす神の使いとされているようです。その形相から私たちは堕落した御使いであることがわかりますが、ナマハゲでなくても蛇を、鬼を神とするような風習が日本の各地でまかり通っていること思うと、伝統に縛られている日本の宣教の難しさを思わされます。何十年も前、ある牧師先生から「日本には日本の文化があるのです。」と言われた時、主人が「文化が真理を変えるのですか、真理が文化を変えるのではないでしょうか。」と話すと、少し沈黙があってから「そうでしたね」と言われました。ソロモンは「死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。」と、少しの愚かさを「死んだはえ」に例えてから「知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。」と語っています。サウルからねたまれ逃亡生活を余儀なくされたダビデが「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。(詩篇16篇8節ー9節)」と、イエス様が羊はご自身の右に、山羊は左に置き、右にいる者たちに「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。(マタイの福音書25章33節ー34節)」と語っているように、知恵のある者の心は右、すなわち創造者なる神の方に向きますが、愚かな者の愚かさは自分がどんなに賢いと思っても造り主の代わりに造られた物を拝んでいることにあることをパウロは語っています(ローマ人への手紙1章20節ー25節)。日本のクリスチャンだけでなく多くの方々が日本のリバイバルのために何十年と祈ってきました。ソロモンは「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるから。(伝道者の書2節)」と語っています。ヨブ記の1章と2章に見られるように、災そのものはサタンによるものですが、サタン(ナマハゲ)が災をもたらすことを許されたのは、クリスチャンが目覚めるように(アモス書5章21節ー24節)、偶像崇拝者がパウロのように創造者なるイエス様を主と認めるように願ってのこと、すなわち、まずキリスト者がリバイブされ、多くの人々が救われるリバイバルが近いのではないでしょうか。左を向いていた人たちが右を見るように、被災地の方々、飛行機事故にあった人々やご遺族の方々の上に主の救いと慰めが臨むように祈ろうではありませんか。