「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

1.マルコの福音書2章13節ー17節
2.ルカの福音書19章1節ー10節
3.ヨハネの福音書3章16節ー17節
4.ローマ人への手紙7章24節ー8章3節

パリサイ人であった時のサウロとも呼ばれたパウロはステパノを殺すことに賛成し、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えて祭司長たちから権限を受けてエルサレムだけでなく国外の町々にまで出かけて行って教会を荒らし、家々に入って男も女も引きずり出して次々に牢に入れるような事をしていたのですが(使徒の働き8章1節ー3節)、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられ、自分が迫害していたのはキリスト者のみならず主ご自身であったことを知らされて自分が行なっていたことが間違いであったことを知らされただけでなく、キリストを証しする宣教の働きが与えられたのでした(使徒の働き26章9節ー18節)。彼は「私は以前は、神を汚す者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなのであわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。」と語ってから、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」と、自分がしてたことを告白するとともに、みことばをそのまま素直に受け入れることの大切さを勧めています。聖書は義人はいない。ひとりもいない。」と語る一方で「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(テモテへの手紙第一2章4節)」と語っています。クリスマスのこの時期、福音宣教の働きが祝され、イエス様が御降誕された意味を多くの人々が悟ることができるように祈ろうではありませんか。