愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。(ヨハネの手紙第一4章18節)

1.ヨハネの福音書5章19節ー30節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.ヨハネの手紙第一4章7節ー10節
4.ヘブル人への手紙10章38節ー39節

人はこの世で罪を犯すと刑罰が伴ってくることは当然のことであるように、ヘブル人への手紙9章27節は「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」と、パウロが「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。(コリント人への手紙第二5章10節)」と、語っているように、人は神の存在とともに死後神に裁かれることを知っているので、死を恐れるのではないでしょうか。しかし、神は罪や咎を裁かれますが、神は人類を救うために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり十字架の死をもって罪に対する刑罰を御子に負わせ、死をもって罪の赦しを、復活をもって永遠のいのちを明らかにされ、人類に永遠のいのちをもって生きる道を開かれたのでした。イエス様を信じた者の全生涯の罪は取り除かれているので、イエス様は「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネの福音書5章24節)」と約束されました。ですから、パウロは「主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章5節)」と、有罪判決ではなく称賛、と驚くべきことを語っています。今日の聖句が「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」と語っているように、恐れる者の愛、すなわち感情に支配され、その時の感情次第で愛が憎しみや恨みに変わってしまうようなもろい人間の愛とは全く異なった質の愛が神の愛であることを、キリスト・イエスにある神の愛である全き愛から私たちを引き離すものは何もないと確信しているパウロのように(ローマ人への手紙8章33節ー39節)神に愛されていることを忘れずに生きようではありませんか。