私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(哀歌3章40節ー41節)

1.詩篇62篇5節ー8節
2.エゼキエル書18章19節ー32節
3.コリント人への手紙第二7章10節ー11節
4.ヘブル人への手紙4章14節ー16節 

エレミヤは主からバビロン捕囚が70年に及ぶことを知らされただけでなく、主に立ち返るなら繁栄が元通りにしてくださる、という回復をも知らされたのでした(エレミヤ書29章10節ー14節)。ヤコブは「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語る一方で「舌を制御することは、だれにもできません。」と語っています(ヤコブの手紙3章2節及び8節)。ヨハネの手紙第一1章8節は「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実なで正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」と語っています。今日の聖句は「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。」と勧めています。主が喜ばれるように生きているか、自分を喜ばせようとして、すなわち自己満足を求めて生きているのかを、主との関係を吟味するように勧めています。心に責められるような思いが来たなら、お手上げの状態の時には、死からよみがえられ神の右に座してとりなしてくださっているイエス様を見上げて救われていることを手を天に向けて感謝の祈りを捧げ、喜んでいる時には高慢にならないように、ヤコブの手紙5章13節が「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と勧めているように、主に助けを求める時も、喜んでいる時も、どんな時にも天に座しておられるイエス様のことを忘れずに、今日の聖句が勧めているように手をも心をも天に向け主を仰ぎ見て生きるようにしようではありませんか。