私たちは、真理に逆らっては何もすることもできず、真理のためなら何でもできるのです。(コリント人への手紙第二13章8節)

1.サムエル記第一17章20節ー51節
2.ガラテヤ人への手紙5章16節ー25節
3.ピリピ人への手紙4章8節ー13節
4.ペテロの手紙第二1章1節ー3節

イエス様は「わたしは、道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられたように、真理はイエス様ご自身であり、聖霊であり(ヨハネの福音書16章13節)、みことば(ヨハネの福音書17章17節)です。パウロはサウロとも呼ばれていたパウロはキリスト者を迫害するために向かっていたダマスコへの途上で天からの光に照らされたので地に倒れて「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」とイエス様から声をかけられたのですが、視力を失ってしまったために人に手を引いてもらわなければならない状態に陥ったのでした。パウロは、彼の経験から「私はパウロにつく」「私はアポロに」と、「私」、すなわち「肉の思い」に生きていたコリントの聖徒たちに「私たちは、真理に逆らっては何もすることもできず、真理のためなら何でもできるのです。」と語っているのは、肉の思いは神に対して反抗するものであり、神の律法、すなわちみことばに生きられないことを(ローマ人への手紙8章6節ー7節)ご存知だったからであり、キリストに生きることを、聖霊を悲しませたり、聖霊の働きを消してしまうような生き方をしないように、真理のみことばをしっかり握って生きることを願って書かれたのではないでしょうか。パウロはコリントの教会を尋ねた時、恐れ慄いていましたが、そのような時、彼は十字架につけられたイエス様のことだけを思われて、説得力のある知恵のことばではなく御霊と御力によって宣教の働きをされたのでした。「神と私たちの主を知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神の御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙第二1章2節ー3節)」を心に据えて恵みを無駄にしないように、真理のみことばをしっかり握り、信仰の完成者であり真理なるイエス様を見上げて生きるようにしようではありませんか。