イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわきでます。(ヨハネの福音書13節ー14節)
1.エゼキエル書47章1節ー5節
2.イザヤ書55章1節ー6節
3.ヨハネの福音書7章37節ー39節
4.ヨハネの手紙第一5章1節ー13節
イエス様がサマリヤの女性に「「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわきでます。」と、イエス様が与えてくださる水は、心を満たしてくださるだけでなく、永遠のいのちをもたらしてくださることを話されたのですが、イエス様が与えてくださる水は、ヨハネの福音書7章37節ー39節が「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける聖霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」と語っているように、イエス様が与えてくださる水は聖霊であることがわかります。聖霊はイエス様が昇天されてからペンテコステ(五旬節)の日に下り、聖霊に満たされたペテロは他の使徒たちとともに立って大胆に福音を語ったのでした。その時以来、使徒たちをはじめ、イエスを信じる者、すなわちキリスト者には聖霊が与えられているのです(使徒の働き2章)。心の飢え渇きを覚える時、世と調子を合わせて肉の思いや欲に支配されて、御霊を悲しませたり、御霊を消す、御霊が働けないような状態に陥っているのではないでしょうか。そのような時、信仰の完成者であるイエス様を見上げるなら、御霊が私たちの心を満たし、力を与え、心を潤してくださるのではないでしょうか。深いうめきをもって神のみこころに従ってとりなししてくださっている御霊が(ローマ人への手紙8章26節ー27節)、永遠のいのちが与えられていることを忘れないようにしようではありませんか(ヨハネの手紙第一5章13節)。