何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙第一5章14節)
1.列王記第一3章3節―13節
2.ローマ人への手紙12章2節−3節
3.ヘブル人への手紙11章1節―6節
4.ヤコブの手紙4章1節―4節
イエス様は「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。」と、きよくされていることを話されてから、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」と約束されました(ヨハネの福音書15章。しかし、きよくされているにもかかわらずヤコブとヨハネは肉の思いをもって「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」と彼らの願いを申し上げたのでしたが、イエス様は「わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」と答えられたのでした(マルコの福音書10章35節―40節)。やがて聖霊に満たされたヨハネはもはや自分の願いではなく「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」と語っています。ソロモンは神のみこころにかなった願いをされたことによって、彼が願ったことだけでなく、彼が願わなかった富や誉れが与えられたのは彼が神を愛していたからでした(列王記第一3章3節―13節)。神のみこころにかなった願いをする秘訣は神を愛しているかどうかにかかっているのではないでしょうか。主は私たちの願いが益になるかならいかをよくご存知な方であることを、御心にかなった願いであってもなかなかかなえられないような時には主の時があることを心に据えて、主を信頼して生きようではありませんか。