神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。(ローマ人への手紙8章33節)

1.イザヤ書53章4節―12節
2.ヨブ記16章19節―21節
3.ローマ人への手紙3章23節―26節
4.コリント人への手紙第一3章18節―4章5節

パウロは神に対して熱心でしたが、自分の考えでもナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者を迫害するためにダマスコ向かっていたのですが、その途上でイエス様から声をかけられ、イエス様を信じ、十字架の恵みを深く知る者となり「信仰による義はこう言います。『あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。』それはキリストを引き降ろすことです。また、『だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。』それはキリストを死者の中から引き上げることです。」とキリスト者に与えられている恵みとキリスト者が生きるべき道を語っています。時として、キリストにあって兄弟姉妹とされているキリスト者の言動を見て、救われているのかどうか疑問視し、非難するようなことのないように、信仰を完成してくださるのはイエス様であることを、今日の聖句「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」を心に据えて生きようではありませんか。