あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙第一10章13節)
1.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
2.ヤコブの手紙1章2節ー4節
3. ペテロの手紙第一1章5節ー7節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー10節
人々から非難され、多くの苦しみを味あわれたパウロは「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」と、キリスト者であってもそうでなくても人はどなたでも試練に会うことを語るとともに、各自が経験する試練はその人自身は耐えられないと思っても、そうではないことだけでなく、神はその試練から脱出雨することができる道を備えておられることを語っています。イエス様は十字架にかけられる前、すでにむちで打たれ、頭にはいばらの冠をかぶせられ体も頭も血だらけであっただけでなく、人々からあざけられたり、悪口を言われたり、人々のために善を行ったのに、悲惨な死を遂げたのですが、三日目に死からよみがえられて完全な勝利をおさめられたのでした。ですから、パウロは、十字架にかけられたイエス様がどのような方なのかを知ることによって、ヨハネの福音書1章18節が「未だかつて神を見た者はいない。父の懐におられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」と語っているように、神を知る者となられ、神はどのような苦しみのときにも、どんな時にも慰めてくださる方であることを語っています(コリント人への手紙第二1章4節)。脱出の道は、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰られた、私たち自身以上に私たちのことをよくご存知な、すべてのことを見ておられるだけでなく、どんなことも益としてくださるイエス様ご自身ではないでしょうか。詩編119篇149節「あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よあなたの決めておられるように、私を生かしてください。」を心に据えて、主に心のうちをすべて打ち明け、心に平安と試練に対処できる力を主からいただこうではありませんか。