貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる。(箴言28章6節)

1.ルカの福音書12章13節ー21節
2.ルカの福音書16章19節ー26節
3.ヤコブの手紙5章1節ー11節
4.黙示録2章8節ー11節

主が「あなたに何を与えようか。願え」と尋ねられたソロモンが「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と申し上げると、その願いは主の御心にかなっていたので、主はソロモンに知恵の心と判断する心を与えられただけでなく、彼が願わなかった「富と誉を与える。」と仰せられたように富むことが問題なのではなく、今日の聖句が「貧しくても、誠実に歩む者は、富んでいても、曲がった道を歩む者にまさる。」と、語っているように、その富とどのように関わっているのかを考慮すべきことを語っています。イエス様は人々に「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と仰せられてから、畑が豊作になった金持ちが人生の保障を物質の豊かさ置いて満足し、神を考慮しないことに対して神は「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。」とたとえ話を持って警告され「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」と警告されたのでした。箴言3章5節ー6節が「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と勧めているように、主が見えなくなってしまうような曲がった道ではなく、永遠のいのちを与えてくださった主を信頼してまっすぐな道を歩ませていただこうではありませんか。