イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。(マルコの福音書6章34節)

1.詩篇23篇1節ー6節
2.イザヤ書53章1節ー12節 
3.エゼキエル書34章11節ー16節
4.ヨハネの福音書10章11節ー16節 

サウル王に「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。ししや、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼のないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」と申し上げたように、ダビデは羊飼いでしたから羊飼いがどのような存在であるかをよくご存じでしたので、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩篇23篇1節ー3節)」と、羊飼いの働きがどのようなものであるのかを語るとともに、主を自分の羊飼いとして認め、信頼して生きることがどんなに幸いなことであるかも私たちに語っているのではないでしょうか。今日の聖句は「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」と語っています。イエス様は「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)」と仰せられました。ダビデと同じような信仰に生きることができるように、主は私の羊飼い(牧者)であることを、主の教えに生きることができるように御霊が与えられていることを感謝するとともに、世の人々が良い羊飼いであるイエス様を知ることができるように祈ろうではありませんか。