正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。(詩篇73篇39節ー40節)
1.マタイの福音書11章28節ー30節
2.コリント人への手紙第一10章1節ー13節
3.テサロニケへの手紙第二3章1節ー4節
4.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
イエス様が罪人や取税人たちと食事をしているのを見たパリサイ派の律法学者たちが弟子たちに「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか」と尋ねているの聞いたイエス様は「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、悪人を招くために来たのです。」と、仰せられました(マルコの福音書2章16節ー17節)。パリサイ人として生きていた時のパウロは律法による自分の義に生き、自分を正しい人と思い込みキリスト者を迫害していたことは正しいことをしていると思っていましたが、キリスト者となった彼は「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(ローマ人への手紙3章23節ー24節)」と、キリストを信じることによって神から与えられる神の義を、神の恵みを、正しいものとはどのような者であるのかを知る者となり、どんな状況にあっても、どんなことを言われても神のしもべとして生きられたのでした(コリント人への手紙第二6章1節ー10節)。今日の聖句は「正しい者の救いは、主から来る。苦難のときの彼らのとりでは主である。主は彼らを助け、彼らを解き放たれる。主は、悪者どもから彼らを解き放ち、彼らを救われる。」と、正しい者と主との関係がどれほどのものであるかを語っています。「正しい者」とは、自分がどう思うかではなく、恵みによって救われているキリスト者であることを心に据え、どんな時にも主に助けを求め、主を信頼して生きようではありませんか(詩篇62篇8節)。