神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)

1.ローマ人への手紙4章25節ー5章5節
2.ローマ人への手紙8章15節ー16節
3.コリント人への手紙第一2章1節ー4節
4.ガラテヤ人への手紙5章23節ー24節

イエス様は昇天される前には「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1章8節)」と仰せらたように、聖霊に満たされたペテロはもはや人を恐れることなく、他の使徒たちといっしょに立ち上がって「イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」と話すと、心を刺された人々が「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と問うたので、ペテロは「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物と聖霊を受けるでしょう。」と勧告したので、3000人がキリスト者となり教会が生まれたのでした。聖霊を受けた彼らは使徒たちの教えを堅く守り、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心を持って食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれるような生き方をしたのですが、その秘訣は聖霊を受けたことによるのではないでしょうか。パウロは「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。」と聖霊の神性を語っています。恐れたり、おくびょうになった時、神の偉大さを、神の子とされ神に愛されていることを思い起こして「アバ、父」と主に助けを求め、神からの力をいただこうではありませんか。