若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40章30節ー31節)
1.マタイの福音書11章28節ー30節
2.ヨハネの福音書14章1節ー6節
3.コリント人への手紙第二3章6節ー18節
4.コリント人への手紙第二4章6節ー18節
イザヤは「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」と若者について言及してから「主を待ち望む者」と年齢に関することには触れていません。確かに若者はお年寄りに比べて体力があり、走る速度も歩く速度もはるかに早いですが、疲れたり、だらけたり、つまずいて倒れることがありますが、それは体力だけでなく、精神的な疲れや無気力、物ではなく、人や不条理なことがまかり通っている状況を見てつまずいて倒れる、すなわち、不信感に悩まされ、将来に対する希望を失ってしまうような状態に陥ってしまう可能性があるのではないでしょうか。ところで、パウロは「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙第二4章15節ー16節)」と、年齢に関係なく、体力的に衰えても、精神的にダメージを受けても、それに反比例するかのようにすべてのことを益としてくださる信仰の完成者であるイエス様はキリスト者を信仰の深みへと 導いてくださり、御霊は栄光から栄光へと 主と同じ姿に変えてくださるのです。どんな時にも、力の源でありイエス様を死からよみがえらせて生ける希望を与えてくださった主を待ち望む、すなわち主を信頼して、日々新しい力や勢いをいただいて信仰の歩みを続けようではありませんか。