わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネの福音書15章4節)

1.ヨハネの福音書3章1節ー7節
2.ヨハネの福音書14章22節ー16節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節ー23節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー13節

一般的に努力をした成果が得られると「実を結ぶ」と言いますし、得るものが多いと「実りある人生」と言いますが、どんなに努力しても成果が得られないような場合がありますし、それらの実はこの世にあってのものであって、神との関係がなくても結ぶことができる実である可能性があり、心の満足を得ても、神が喜ぶような質ではない可能性があるのではないでしょうか。ところで、イエス様は「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」と、イエス様との関係なしには結ぶことのできない実について語られました。それは、確かなことです。なぜなら、ガラテヤ人への手紙5章27節ー28節が「御霊の実は、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。」と、ヘブル人への手紙12章11節が「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」と、語っているように、イエス様を信じることによって聖霊が与えられ、義人とされるのです。主が喜ばれる麗しい実をつけるために、どんな時にも私たちの身代わりに十字架に架けられた恵みとまことに満ちておられる主を仰ぎ見て、いのちのみことばをしっかり握って、自分に生きるよりキリストに生きるようにしようではありませんか。