私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。(ペテロの手紙第一1章3節)

1.ヨハネの福音書5章19節ー24節
2.ヨハネの福音書10章10節ー16節
3.ヨハネの福音書11章1節ー44節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節

ラザロが亡くなって四日も経ってから来られたイエス様に「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と申し上げたマルタに「あなたの兄弟はよみがえります。」と仰せられてから、「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」と尋ねると、マルタは「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じています。」と答えられたこと、ラザロが生きかえったことを一緒にいた弟子たちは見聞きしたのでしたが(ヨハネの福音書11章17節ー45節)、イエス様は「私たちはあなたが神から来られたことを信じます。」と申し上げた弟子たちがイエス様をひとり残して家に帰ってしまうこと(ヨハネの福音書16章30節ー32節)、ペテロが三度イエス様を知らない(ルカの福音書34節)、ということを弟子たちに話されていたのでした。通常「死」は、この世が与えることのできるすべての希望を消滅させる恐ろしい力を持ち、恐怖を与えますが、復活の主にお会いし、聖霊に満たされたペテロは、もはや人を恐れず「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」と、死の力を無力にする生ける希望が、永遠のいのちがキリストにあって与えられていることを大胆に語る者になったのでした。詩篇116篇15節には「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」とあります。医師から死期を知らされた人々は、残された人生を悔いのないように生活することが死の備えのように言われますが、まことの死の備えはイエス様を信じることにあることを人々がわかるように、福音宣教の働きが広げられるように祈りましょう。