天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3章1節)

1.ローマ人への手紙3章19節ー26節
2.ローマ人への手紙11章25節ー36節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.ペテロの手紙第一1章5節ー21節 

創世記1章3節ー5節が「神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。」と語り、その後、人が生きることができる環境を整えられてから人を創造され「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日」とあるように、今日の聖句は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と、「天の下」、すなわち、「この世」においては何事にも定まった時期があること、すべての営みには時があることを語っていますが、その根源を創世記1章に見ることができるのでしょうか。今日の聖句の後、ソロモンは「植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。」と、2節ー8節において、人がこの世に生まれてから死ぬまでの間の行為、「すべての営み」、すなわち人が行うすべての行為について14の対区をもって語っています。人は神が定められた時期や時の中でさまざまな営みをしながら、悔やまれるようなことによって苦悩することがあるのではないでしょうか。そのような時、「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(ヘブル人への手紙4章16節)」と勧めているように、主はすべてのことを益としてくださることを(ローマ人への手紙8章28節)、主が主の時にすべてを美しくしてくださることを(伝道者の書3章11節)感謝するとともに、心のうちを正直に申し上げ、心と思いを守っていただこうではありませんか(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)。