あわれみ深い人は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。(マタイの福音書5章7節)
1.マタイの福音書9章10節ー13節
2.ルカの福音書6章32節ー37節
3.ルカの福音書10章30節ー37節
4.テモテへの手紙第一1章1節ー17節
実用日本語表現辞典に「あわれみ」とは「人の苦しみや悲しみに深く同情すること」とあるだけでなく、「目下の人に向けられるものである。」と、上からの目線が伴うことをも語っています。しかし、聖書が示す「あわれみ」は、上からの目線を伴うような同情ではなく、主ご自身があわれみ深い方であることを語っており、罪人を救うために御子イエス様をこの世のお遣わしになられたように行為を伴うものであることを示しています。弟子たちに「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」と尋ねたパリサイ人たちに、イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。(マタイの福音書9章10節ー13節)」と、「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』ということがどういう意味か知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。(マタイの福音書12章7節)」と、主はパリサイ人たちに「あわれみ」を学ぶように、「あわれみ」を知ることがどんなに大切なのかを語ったのでした。パウロの書簡には必ず「恵みと平安」とありますが、弱っているテモテには「父なる神と私ちの主なるキリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように。」と祈られるとともにご自身が主からのあわれみを受けたことをも告白しています。幸いな人生を歩むために、今日の聖句「あわれみ深い人は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」を心に据えて、主がどのような方であるのかを、主のあわれみによって今があることを忘れずに生きようではありませんか。