恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)
1.詩篇32篇1節ー2節
2.ヨハネの福音書1章14節ー17節
3.ローマ人への手紙7章18節ー8章4節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
ヤコブの手紙3章2節が「私たちは皆、多くの点で失敗をするものです。もし、言葉で失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っていますが、完全な人はひとりもいないのではないでしょうか。パリサイ人や律法学者が、姦淫の場で捕えられたひとりの女性を連られて来て民衆の真ん中に置いてから「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセの律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねたので、イエス様は「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に投げなさい。」と仰せられると、年長者から始めて民衆は出て行ったのでした。人のうちにあるものを知っておられ、だれの証言も必要とされないイエス様は(ヨハネの福音書2章25節)、女性のうちにあるものを知っておられ「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたのでした。ヨハネの福音書1章17節は「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからです。」と語っています。ですから、パウロは「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。」と語っています。今日の聖句「恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。」を心に据えて、神を恐れる、すなわち、神がどんな偉大な方であるのかを、恵みを無駄にしないために、恵みによって咎が贖われ、救われていることを忘れずに主を誉めたたえて生きるようにしようではありませんか。