すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)
1.詩篇68篇19節ー20節
2.イザヤ書46章3節ー8節
3.ヨハネの福音書14章18節ー27節
4.ペテロの手紙第一5章7節ー11節
イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と約束されましたが、その後「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」と仰せられたことばに、休ませてくださる、ということは何もしないことを意味しているのではなく、自分ひとりで苦労するのではなく、イエス様のくびきを負う、ということはイエス様と共に歩むことを意味しているのではないでしょうか。パウロが「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章24節)」と語っているように、日々、イエス様と共に歩むなら、自力で頑張るのではなく、神の力、神の知恵が日々与えられるだけでなく、この世が与えることのできない主の平安が与えられるからではないでしょうか。詩篇55篇22節は「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」と勧めています。主は罪に定められないようにとりなして祈っていてくださるだけでなく、日々重荷を負ってくださっているという恵みを忘れずに、日々新しい力と知恵を与えてくださる恵みとまことに満ちておられる主をほめたたえて生きようではありませんか。