わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103篇2節)
1.申命記1章19節ー40節
2.申命記8章2節ー18節
3. ローマ人への手紙4章6節ー21節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
ダビデは「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と、主がどのようなことをしてくださったのかを忘れないように、主をほめたたえるように自分に言い聞かせています。イスラエル民は多くの奇蹟を体験しながらも主の良くしてくださったことを忘れ、約束の地を目の前にしながら、アナク人を恐れて「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」とつぶやいて不信の罪を犯したのでしたが、その原因は、紅海の奇蹟を体験したにもかかわらず、主の良くしてくださったことを忘れたことにあるのではないでしょうか。パウロは「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と語っていますが、その後で「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」と語っていますが、その秘訣は罪や死から救うためにご自身捧げてくださったイエス様のことを思っていたことにあるのではないでしょうか(コリント人への手紙第一2章2節ー4節)。試みに会い、弱さを覚えて、思い煩ったり、不安になったりするような時、主が喜ばれるような信仰に生きることができるように、私たちも「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と、自分に言い聞かせ、恵みによって救われていることを感謝し、主を誉めたたえようではありませんか。
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