あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。(ヤコブの手紙5章13節)

1.申命記8章11節ー18節
2.詩篇16篇1節ー9節
3.ダニエル書6章12節ー17節
4.テモテへの手紙第二2章1節ー8節

パウロは「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。(コリント人への手紙第一2章11節)」と、ソロモンは「愚かな者の笑いは、なべの下のいばらがはじける音に似ている。これもまた、むなしい。」と、愚かな者、すなわち神を考慮しない人々の笑いは、いばらのように火をつけるとすぐにパチパチと音を立て燃えますが、煮炊きをする火力がなく、すぐに消えてしまい、役に立たないものであり、笑いの後には空しさしか残らないことを語っていますし、箴言14章13節は「笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。」と、人の目には幸せそうに見えても、人には知られたくない問題を抱えていることがあることを語っています。この世に生まれてからこの世を去るまでの間、だれひとりとして苦しむことなくこの世を去る方はおられないのではないでしょうか。このところ苦しんでいる方々が解決を死に求めて自死されておられることと、苦しんでいる方に対して相談窓口があることも報道されています。この世や人の知恵は、考え方を変えれば問題に対する受け止め方が変えられ、生き方が変わるようなことを提唱しますが、すべての人に適合するのは難しいだけでなく、思考を変えても神との関係がないのであれば、それは一時的な効果はあっても、記憶力があるので、過去の失敗を悔やんだり、自分の力のなさに悩んだりする根本的な心の問題を解消することはできないのではないでしょうか。一方、神を考慮しないで単に喜んでいると高慢になってしまう危険性があるのではないでしょうか。今日の聖句が「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」と、勧めているように、どんな時にも、どんな状況にあっても、すべてのことを益としてくださる主の存在を忘れないようにしようではありませんか。