あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイの福音書6章6節)

1.詩篇62篇1節ー8節
2.エペソ人への手紙4章26節ー32節
3.ヘブル人への手紙11章1節ー6節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー15節

イエス様はまず「祈るときには、偽善者のようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」と仰せられてから「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」と、祈りは人ではなく神に向かって祈るものであることを指摘されたのでした。ですから主はいわゆる主の祈りの冒頭で「天にいます私たちの父よ。御名が崇められますように。」と教えられたのでした。ところで、ダビデが「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避けどころである。(詩篇62篇8節)」と勧めているように、自分の奥まった部屋に入り戸をしめて祈る祈りの利点には人には言えない、人には聞かれたくない悩みや苦しみから解放されるだけでなく神に対する信頼が生まれるのではないでしょうか。感情は非常に強い力を持っています。感情が良い方向に働く時と、そうでない時があります。イギリス人でリバイバルのために用いられたスミス・ウイッグルワース牧師は怒りから解放されるために部屋にこもって祈られた、と言われています。感情を抑えられない時、肉の思いに駆られた時にこそ奥まった部屋で天に座しておらえるイエス様を仰ぎ見て、心のうちを主に正直に申し上げるなら、聖霊が十字架の恵みを思い起こさせてくださりパウロの「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」という勧めに則って神の愛に生きることができるようになるのではないでしょうか。