もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハネの福音書14章15節)
1.マタイの福音書22章35節ー40節
2.ヨハネの福音書15章9節ー12節
3.ヨハネの福音書21章15節ー19節
4.ローマ人への手紙7章19節ー8章7節
イエス様は「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」と、戒めを守る秘訣を語っています。ところで、イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。(ヨハネの福音書15章9節ー12節)」と、キリスト者が守るべき戒めについて語っていますが、そこに使われている「愛する」という動詞はギリシャ語の「アガパオ」、すなわち神の愛であり、神の愛は十字架で示されたことをかんがみると、そこには自己犠牲の世界があるのではないでしょうか。イエス様が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられた第二の戒めに使われているのもアガパオです。近年自分を愛せないなら神も隣人も愛せない、という間違った教えが入り込み二つの戒めが三つになっています。パウロは「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は自分を愛する者、金を愛する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を捨てる者になる、と警告しています(テモテへの手紙第二3章1節ー5節)。パウロが肉の思いは神に反抗し神の律法に服従できない(ローマ人への手紙8章7節)と語っているようにに自分を愛していたなら、肉の思いに支配され、神も隣人も主が願っているようには愛せないのではないでしょうか。イエス様はどのように父の戒めを守り、父の愛の中にとどまられたかというと(ヨハネの福音書15章10節)、ゲッセマネで「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。(マルコの福音書」ともだえ苦しみながら祈られ、十字架上で人々のためにとりなして祈られたお姿に見ることができるのではないでしょうか。主が願っておられるように互いに愛し合う、すなわち、パウロが勧めているように互いに赦し合いながら生きようではありませんか(エペソ人への手紙4章32節)。
