主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。(詩篇105篇2節)

1.詩篇103篇1節ー11節
2.ローマ人への手紙5章6節ー10節
3. エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー3節

主はモーセに約束の地について、広い良い地、乳と蜜の流れる地ですが、そこにはカナン人、へテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人がいる事をも告げておられたのでした(出エジプト記3章8節)。ですから、モーセは「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ、占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告られたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。」と民に告げたのにもかかわらず、「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう」という民の提案に同意した結果、主と主の約束を信ぜずに不信の罪を犯すような事態が起きてしまいモーセさえも約束の地に入ることができないようなことになったのでした(申命記1章19節ー40節及び民数記13章1節ー14章30節)。不信の罪を犯した原因は、紅海の奇跡を体験した時には主に向かって歌いましたが、荒野を旅する最中、主が昼は雲の柱、夜は火の柱をもってご臨在を現され、常にともにおられ導いてくださったことを、主の奇しいわざを忘れ、自分たちの考えを優先させたことによるものでした。今日の聖句「主に歌え。主にほめ歌を歌え。そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。」はキリスト者が留意すべき点を語っているのではないでしょうか。神から私たちに賜ったものを私たちが知るために御霊が与えられていることをパウロは語っています。聖霊を悲しめないために、救われていることを忘れずに主をほめたたえる賛美者とし生きようではありませんか。