人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。(箴言29章25節ー26節)
1.民数記13章25節ー14章30節
2.マタイの福音書10章28節ー31節
3.ヨハネの福音書5章24節ー30節
4.使徒の働き12章1節ー23節
ソロモンが「日の下」、すなわち神を考慮しないこの世を見て「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ。しいたげられている者の涙を。彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らに慰める者がいない。(伝道者の書4章1節)」と語っているように、人を裁かれる神を知らない支配者たちはその職権を濫用して人々をしいたげるようなことをするので、今日の聖句が「支配者の顔色をうかがう者は多い。」と語っているような生き方をしてしまうのではないでしょうか。そのような状態をロシアや中国、北朝鮮などの指導者が独裁的に振る舞う国々において顕著なのではないでしょうか。しかし、往々にして独裁者は暗殺されることを恐れている状況がありますから、結局、人は恐れの中に生きているように思わされます。イスラエルの民は神の力を神の偉大さを見ていたにも関わらず、約束の地を目の前にしながら、約束の地について悪く言いふらしただけでなく、自分たちはいなごのように見えたと言った者たちのことばを信じ、「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに、できれば、この荒野で死んだほうがましだ。」などとつぶつぶやいて不信の罪を犯しただけでなく「主にそむいてはならない。」と主を信頼し、人々を励ましたヨシュアとカレブを民は石で打ち殺そうとしたために、主はご自身を現されヨシュアとカレブを守られ、彼らが願ったようにヨシュアとカレブ以外の20歳以上の者たちは荒野で亡くなったのでした(民数記13章33節ー14章2節及び7節ー10節、14章29節ー30節)。人を恐れると神が見えなくなってしまうのではないでしょうか。パウロが「すべての人のために、王やすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」と勧めているように、支配者の顔色を伺うのではなく支配者のためにも祈ろうではありませんか。
