あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)
1.マタイの福音書6章7節ー9節
2.ヨハネの福音書1章1節ー13節
3.コリント人への手紙第一2章11節ー12節
4.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節
ヨシュアはモーセが亡くなったことを知っていたにも関わらず、主はまず「わたしのしもべモーセは死んだ。」と話されてから約束の地の領域を話されるとともに「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」と仰せられてから、最初は「強くあれ。雄々しくあれ。」と、二度目には「ただ強く、雄々しくあって」と仰せられてから三度目に「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。」と仰せらたことばに、その間、ヨシュアの主に対する反応のことばはありませんが、ヨシュアの心情をかいま見ることができるのではないでしょうか(ヨシュア記1章1節ー9節)。イエス様は「あなたがたは心を騒がせてはならない。・・わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。(ヨハネの福音書14章1節及び18節)」とヨシュアに仰られたように約束されました。世全体を支配しているこの世の霊は恐れや思い煩うように火矢を射ってきますが、パウロはそれを消すことができるのは信仰の大楯であることを語っています。今日の聖句「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」を心に据えて、私たち神の子とされていること、恐れを抱かせるようなこの世の霊を受けたのではないことを思い起こし、思い煩いや恐れが襲って来た時に、想像力を働かせて思い悩むよりも、神の子とされていることを喜び、どんな状況に置かれても主に明け渡すために父なる神である主にいつでも祈りをもって心のうちを正直に申し上げて、主からの励ましと平安をいただこうではありませんか。
