満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。(テモテへの手紙第一6章6節)
1.ローマ人への手紙8章28節ー39節
2.コリント人への手紙第一2章7節ー12節
3.エペソ人への手紙1章1節ー14節
4.テモテへの手紙第一2章1節ー5節
人は利益を求めて生きていますが、パウロは「「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と語ってから、「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテへの手紙第一6章8節ー10節)」と、ソロモンも全能なる神を考慮しないこの世の人々に焦点を合わせて観察した結果「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。 これもまた、むなしい。(伝道者の書5章10節)」と欲は満ち足りる心を与えないことを語っています。ところで、パウロは単なる敬虔さではなく、満ち足りた心を伴っているかどうか、敬虔を利得の手段と考えていないかどうか(テモテへの手紙第一6章5節)、キリスト者が留意すべき点について語っています。マラキ書3章10節で十分の一をささげるなら天の窓を開いてあるれるばかりの祝福を与えることを約束されたのはユダヤ人たちが主に立ち返るためでしたが、気をつけないと、主に感謝を表す手段としての献金ではなく、祝福を受ける手段にすり替わってしまうことがあるのではないでしょうか。満ち足りた心を伴う敬虔さに生きるために全生涯の罪が取り除かれていること、神の子とされ永遠の栄光の中に招き入れられ、永遠のいのちが与えられていることなど、この世は与えることのできない祝福が与えられていることを心に据えて、敬虔に生きるために(テモテへの手紙第一 2章1節ー2節)、私たちが罪に定められないようにとりなしていてくださるイエス様のように人々のために祈ろうではありませんか。
