あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがた良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。(マタイの福音書5章16節)
1.箴言3章1節ー7節
2.イザヤ書60章1節ー3節
3. ピリピ人への手紙2章13節ー16節
4.ヨハネの福音書第一1章5節ー2章10節
イエス様は「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがた良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」と仰られましたが、その仰せに生きる秘訣をパウロは「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。それは、あなたがたが非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光りとして輝くためです。(ピリピ人への手紙2章14節ー16節)」と、語っています。イスラエルの民は奇蹟を体験すると主を誉めたたえますが、恐れや欲に支配されると、主の約束のことばをいただきながらも主を信頼しないで、つぶやき不信の罪を犯したのでした。みことばを知っていてもみことばに従えないように働く力は、肉の思いであることをパウロは語っています(ローマ人への手紙8章7節)。イエス様の願いは弟子たちが互いに愛する(アガパオ:神の愛)ことでした。イエス様は律法学者やパリサイ人たちに「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネの福音書8章12節)」と仰せられました。イエス様は罪人の手によって十字架に架けられましたが、それは罪人を救うための神のご計画でした。イエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」と、迫害する者のためにとりなして祈られたのでした。つぶやくよりも、キリスト者の心には世の光りであるイエス様が聖霊なる神として内住しておられることを、恵みによって救われていることを忘れずに、互いに愛し合う、すなわちイエス様が赦してくださったように互いに赦し合い、祈り合おうではありませんか。
