私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。(詩篇103篇10節ー11節)

1.哀歌3章22節ー26節  
2.ヨハネの福音書1章14節ー18節
3.ローマ人への手紙5章6節ー21節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節

イエス様は「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしととも集めない者は散らす者です。だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。(マタイの福音書12章30節ー32節)」と、神はどんな罪も赦してくださることを語る一方で一つの例外として聖霊に逆らう冒涜は赦されないことを語っていますが、文脈で見ると、パリサイ人がイエス様が悪霊につかれて目も見えず、口もきけない人を癒した力は悪霊どものかしらベルゼベルの力によるものと言ったためであって、キリスト者には当てはならないことを、かえって今日の聖句「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。」を心に据えて、後悔するようなことを言ったり、行ったりした時、自分を自分でさばいて落ち込むよりも、主を恐れる、すなわち神がどんな偉大な方であるのかを、恵みとまことを実現されたイエス様が今日も罪に定められないようにとりなして祈っていてくださることを思い起こし、主を誉めたたえようではありませんか。