謙遜と主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。(箴言22章4節)
1.列王記第一3章3節ー13節
2.ルカの福音書12章13節ー31節
3.ルカの福音書18章9節ー14節
4.ヤコブの手紙4章1節ー10節
イエス様は「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。わたしは人からの栄誉を受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。(ヨハネの福音書5章39節ー41節)」と仰られましたが、主から「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたソロモンは主を愛していたので、「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」と、申し上げると、その願いは主の御心に叶ったものでしたので、主は知恵の心と判断する心とを与えられただけでなく、彼が願わなかった富や誉れをも与えることを約束されたように、富や誉には、この世の富や人からの誉れと神から与えらる富と誉れがあることを聖書は示しています。この世の富や誉れは努力によるものであり、得たと思っても円安や何か間違いをすることによって一瞬のうちに失ってしまうようなもろさがありますが、主が与えてくださる富は物質的なものに限らず最も大切な心の豊かさでもあり、富や誉れは努力によるものではなく恵みによって与えられるものであり、その違いは主を愛しているか、自分を愛しているかによるのではないでしょうか。謙遜と主を恐れることは、人と比較して自分を卑下することではなく、パウロのように自分のみじめさを自覚するとともにキリスト・イエスにある神の愛がどんな偉大なものであるのかをわきまえ知ることではないでしょうか(ローマ人への手紙7章18節ー24節及び8章38節ー39節)。永遠のいのちが与えられていること、十字架で示された神の愛の中に生かされていることを感謝し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。