私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ人への手紙1章3節)
1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.エペソ人への手紙2章1節ー10節
3.ピリピ人への手紙3章17節ー21節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー7節
イエス様は祈り時には「こう祈りなさい。」と仰せられてから「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」とまず賛美することを勧めています。ところで、エレミヤ書17章14 節は「私をいやしてください。主よ。そうすれば私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。」と、主ご自身に目を留めることが賛美であること、詩篇22篇3節は「 イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」と、神の民が主を賛美するところに主がご臨在されることを語っています。大軍が攻めてくるのを知って恐れたヨシャパテは「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです。」と申し上げ、戦いに出る際して「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と賛美すると、主が勝利を与えられたように、主の民が賛美するところに主はご臨在を表わしてくださるだけでなく勝利を与えてくださるのです。パウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」と、主をほめたたえて生きることを奨励していますが、その理由として「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と語っていますが、天にあるすべての霊的祝福は、キリストによって実現したものであることをも語っています。ヘブル人への手紙13章14節ー15節が「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ですから、私たちは、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えず捧げようではありませんか。」と勧めているように、八方ふさがりのような時、苦悩しているような時にこそ、今日の聖句を思い起こして主をほめたたえようではありませんか。