一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙12章4節ー5節)

1.ローマ人への手紙12章15節ー16節
2.コリント人への手紙第一12章4節ー27節
3.エペソ人への手紙4章4節ー25節
4. ペテロの手紙第一4章7節ー11節

この世にはさまざまな共同体がありますが、一つからだ意識をもつ共同体は教会以外にないのではないかと思わされますし、しかもそれは人の努力によるものではないことを弟子たちの在り方から見ることができるのではないでしょうか。イエス様はあらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすために、十二弟子たちに汚れた霊どもを制する権威を授けられ、イスラエルの民に「天の御国が近づいた」と宣べ伝えるように遣わされたのですが、彼らはだれが一番偉いかなどと論じ合ったり(マルコの福音書9章34節)、ヤコブとヨハネは「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」などと言い、それを聞いた他の十人が腹を立てたのですが(マルコの福音書10章35節ー41節)、ペンテコステに聖霊が下り、聖霊に満たされた弟子たちは、もはや「私」を主張する姿はなく、だれが話すかもめることなく、他の弟子たちは福音を語ったペテロといっしょに立っていたのでした。パウロは「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」とキリスト者が留意すべき点を語っています。福音書の弟子たちのように自分に生きるのではなく、キリストに属する者であることをしっかりと心に据えて、他のキリスト者と自分を比較するような思いに駆られたなら、目と耳の形や機能が異なっていることは当たり前のことであるように、キリスト者は各自、キリストのからだを構成する一員であることを思い起こし、他者と比較しないで生きよるようにしようではありませんか。