主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何を求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ書6章8節)

1.出エジプト記33章12節ー16節
2.列王記第一2章1節ー4節
3.マタイの福音書19章16節ー22節
4.ローマ人への手紙11章33節ー12章5節

イエス様は「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。(マタイの福音書23章23節)」と仰せられました。ところで、パウロは「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ人への手紙12章2節)」と勧めていますが、その答えを今日の聖句は「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何を求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」と、公義を行い、誠実を愛して生きるための秘訣は、へりくだって神とともに歩むことであることを語っています。ですから、パリサイ人や律法学者が正義とあわれみと誠実をおろそかにしていたのは、自分を義人と自任して他の人を見下し(ルカの福音書18章9節)、心が主から遠く離れていたからではないでしょうか(マタイの福音書15章7背ツー9節)。神とともに歩むために、主がどのような方であるかを心に据えて、パウロが勧めているように、死からよみがえられたイエス様のことをいつも思って生きようではありませんか。