自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。(箴言28章13節)
1.ヨシュア記7章10節ー26節
2.詩篇32篇1節ー7節
3.ルカの福音書15章11節ー24節
4.ヨハネの手紙第一1章5節ー3節
今日の聖句は「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」と、「罪を隠す者」と「罪を告白する者」と言う対照的な人を語るともにその結果がどのようなものであるかをも語っています。創世記2章25節に「人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」とあり、「隠す」という行為は、神が禁じられた善悪の知識の木からエバとアダムが取って食べて罪を犯したことによるものでした。それ以来、人は神よりも人を恐れ、自分にとって不利になるようなことは隠し、詩篇62篇4節が「口では祝福し、心の中ではのろう。」と、「本音と建前」という言葉が象徴するように二心で生きているのではないでしょうか。サウルは主の御声に聞き従うよりも値打ちのないものだけを聖絶し、子羊や全ての最も良いものを惜しんで聖絶しなかっただけでなく、その罪を民になすりつけた結果、王位から退けられることになったのでした(サムエル記第一15章1節ー31節)。アカンにも罪を犯したことを告白できる1日の猶予がありましたが、彼は告白せず死ぬことになったのでした(ヨシュア記7章13節)。主は心を見られる方で、私たちが何を考え何を思っているのか言葉を発する前に、すべてご存知ですから(サムエル記第一16章7節、詩篇139篇1節ー2節、ヨハネの福音書2章25節)、イエス様が「奥まった部屋に入って戸をしめて隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。(マタイの福音書6章6節)」と仰せられたように背きの罪、すなわち神に背を向けて自分勝手な生き方をしていたことや心の中にある肉の思いをすべて正直に人(牧師)にではなく主に申し上げる、すなわち、心の中から捨てて主からのあわれみを受けて生きようではありませんか。