わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネの福音書14章27節)

1.イザヤ書26章3節ー12節
2.マタイの福音書6章24節ー34節
3.マタイの福音書11章28節ー30節
4.ピリピ人への手紙4章6節ー7節

イエス様はご弟子たちに、エルサレで長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺されるけれども三日目にはよみがえられること話され(マタイの福音書16章21節)、その時が近づくと、弟子たちに「『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなた方にも言うのです。」と話され、ペテロが「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」と申し上げると、イエス様は「わたしのためにいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」と仰せられから、「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」と命じられ(ヨハネの福音書13章33節ー14章1節)、「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」と、平安を与えることを約束されてから再度「あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。」と命じられたのでした。世が与えることができる平安は気休めのようなもので一時的になものであり、後悔の念に悩まされたり、将来や死に対する不安から解放することができません。思い悩むようなことや恐れるような思いが襲って来た時、十字架の死にまで従われた主を見上げ、パウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いを守ってくれます(ピリピ人への手紙4章6節)」と、勧めているように主は真実な方で約束を守る方であることを忘れず、救われていることを感謝しながら、心の内をすべて正直に主に申し上げて重荷を主に明け渡し、重荷の代わりに主からの平安をいただいて生きようではありませんか。