ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)

1.イザヤ書53章1節ー12節
2.イザヤ書55章6節ー11節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.コリント人への手紙第一2章1節ー14節

パウロは自分の義、すなわち自分の考えに生きていた時にはキリスト者を迫害していたのですが、主はそのようなパウロを使徒として選ばれ福音の奥義を知る者とされ、イスラエルの民(彼ら)とキリスト者(あなたがた)との関係について「彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。(ローマ人への手紙11章28説)」と、神の選びについて語ってから「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」と、ご自分の体験とイスラエルの民の置かれて状況を踏まえて語っています。私たちの人生にはさまざまことが起こり、時にはアサフが、この世の悪者が安らかで富を増しているような不条理に目を止めて悩んだように、悩んでしまうことがあるのではないでしょうか。アサフはその時の状態を「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」と告白してから「天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。・・・私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」と、語っています。キリスト者であってもわからないことが多々ありますが、主の願いはすべての人が救われて真理を知ることであるので(テモテへの手紙第一2章4節)、すべてを働かせて益としてくださる主を信頼するとともに主を証しして生きるようにしようではありませんか。