あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。(箴言9章7節ー8節)
1.マタイの福音書7章1節ー6節
2.ヨハネの福音書15章22節ー16章4節
3.ヨハネの福音書17章14節ー20節
4.ペテロの手紙第一4章12節ー19節
イエス様は真理を話されたのにも関わらず、パリサイ人や律法学者は常にことばの罠を仕掛けイエス様を試みましたし、祭司長や長老たちはイエス様をねたんでバラバの代わりにイエス様を十字架にかけるように群衆を説きつけイエス様を十字架につけるように叫び続けさせたのでした(マタイの福音書27章17節ー23節)。そして、道を行く人々は十字架にかけられたイエス様を罵り、祭司長たちも、律法学者たちも、指導者たちも、兵士たちも嘲笑い、イエス様とともに十字架にかけられた二人もののしったのですが(マルコの福音書15章29節ー32節)、十字架にかけられたイエス様は「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と、彼らのためにとりなして祈られたので、十字架にかけられた者のひとりは悪口を言うもうひとりに「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」と言ってたしなめてから「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げたのでした(ルカの福音書23章34節ー42節)。イエス様はお互いに他者をさばかないように勧めてから「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足でふみにじり、向き直ってあなた方を引き裂くでしょう。」と仰られましたが(マタイの福音書7章1節ー6節)、それはまさしく、パンを裂いて「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と仰せられた(マタイの福音書26章26節)イエス様ご自身が経験されたことですが、イエス様はとりなして祈られ神の愛を示されたのでした。今日の聖句「あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。」を心に据えて、あざけられても戒めるよりも、悪者を見て責めるよりも十字架のイエス様のことを思い起こし、とりなして祈るようにしようではありませんか。