人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れないさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブの手紙1章20節ー21節)

1.ローマ人への手紙10章1節ー17節
2.ピリピ人への手紙3章2節ー9節
3.テサロニケへの手紙第一1章4節ー7節
4.ペテロの手紙第一1章22節ー2章2節

 パウロはパリサイ人として生きていた時には、律法による自分の義に生き、自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、キリストを信じる信仰によって神から与えられる義、すなわち神の義を知り、神の義に生きる者となられ、神に対して熱心でもかつての自分と同じように神の義を知らずに自分自身の義に生きているイスラエルの民が救われることを願うと共に「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と、信仰の奥義を語られたのでした(ローマ人への手紙10章1節ー3節及び17節)。ですから、今日の聖句は「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れないさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」と、罪や死、神の怒りから救われているキリスト者が留意すべき三つの点、人の義がもたらすもの、肉の思いや行いを捨てるべきこと、みことばの力がどれほどのものであるのかを挙げています。自分こそ正しいと主張する自分の義に生きる時、そこには高ぶりをはじめとする様々な肉の思いがあり、肉による怒りが生じてしまうのではないでしょうか。自分の義や肉の働きから解放されるために、日々たましいが救われ、信仰が成長するためにペテロが勧めているように純粋なみことばを慕い求めて生きようではありませんか。