何事でも神のみこころに従って願うなら、神は聞いていくださるということ、これこそが神に対して私たちが抱いている確信です。(ヨハネの手紙第一5章14節)

1.マタイの福音書7章7節ー11節
2.エペソ人への手紙6章10節ー18節
3.ピリピ人への手紙2章13節ー16節
4.ヤコブの手紙4章1節ー4節

今日の聖句「何事でも神のみこころに従って願うなら、神は聞いていくださるということ、これこそが神に対して私たちが抱いている確信です。」を思うと、果たして自分が願っていることが神のみこころなのかどうか悩んでしまうようなことがあるのではないでしょうか。ところで、願いには欲によるものと、パウロが「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わず行いなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。(ピリピ人への手紙2章13 節ー16節)」と神が与えてくださる志し、すなわち願いがある事を語っていますが、「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。(コリント人への手紙第一2章11節)」と、神のみこころを知るためには御霊の働きが不可欠であることをも語っています。キリスト者には御霊が与えられているので、本当は肉の願いなのか、神からのものなのかを知ってるのではないでしょうか。神は私たちの願いをすべてご存知な方で、私たちの益とならないもであるならお与えくださらないのではないでしょうか。一方、神のみこころにかなった願いであっても、ダニエルのように、祈りの答えを見るまで二十一日かかったように、神の時があることも忘れないようにし、みこころにかなったものであるなら、必ず主が与えてくださることを感謝して生きようではありませんか。