悪を行う者に対して腹を立てるな。悪者に対してねたみを起こすな。悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。(箴言24章19節―20節)
1.詩篇37篇1節―15節
2.詩篇73篇1節―28節
3.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節
4.エペソ人への手紙4章26節―32節
私たちは善と悪の対立する世界に生きているため、神を神とも思わない人々が栄えて誇り高ぶる姿を見ると、アサフが「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。」と、悩まれたように腹が立ったり憤ってしまったり、ねたんでしまうようなことがありますが、彼は「私は、神の聖所に入り、ついに彼らの最後を悟った。」と語ってから「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして、導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」と、反省するとともに将来の対する希望を語っています。ロシア、というよりもプーチン氏が欲をかいてウクライナに侵攻しその残酷さが報道されたとき、ヘロデが神に栄光を帰さなかったために虫にかまれて息が絶えたようになれば(使徒の働き12章20節―23節)、と思いましたが、今日の聖句や詩篇37篇8節の聖句「怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな、それはただ悪への道だ。」、悪者の死をも喜ばれず悔い改めることを願っている主のことを、イエス様が罪人のために祈られたことを思い出させられ、「プーチン氏の死を願っているあなたは、プーチン氏と同じことをしているのでは」という思いが与えられ、彼が悔い改めて主に立ち返るようにとりなして祈るように導かれました。パウロが怒っても罪を犯さないようにすすめているように(エペソ人への手紙4章26節)、一時的に怒ってもイエス様のことを思い起こして、さばいたり赦さないという罪を犯さないようにしようではありませんか。